連帯ユニオン関西生コン支部(通称・関生)が関わる訴訟の最高裁判決が話題になっている関係で、YouTube「大石あきこチャンネル」に掲載されている下記2本の動画に関する問合せを複数頂いております。
この際、下記2本の動画につきまして此方(IBB)の見解を記します。
◎日刊深夜快速Vol.3551/水曜版・週刊大石ちゃん自由自在(仮)〜関西生コンスペシャル・前編〜(2021年2月17日放送分)
https://www.youtube.com/watch?v=1mVpCr1JtJs
◎日刊深夜快速Vol.3558/水曜版・週刊大石ちゃん自由自在(仮)〜関西生コンスペシャル・後編〜(2021年2月24日放送分)
https://www.youtube.com/watch?v=R0s0f9_Gokk
『週刊大石ちゃん自由自在(仮)』は、ウェブラジオFMC制作で2021年当時「ラジオポッドキャスト(音声のみ)」で配信していたものですが、大石あきこ氏の企画発案並びに出演手配により「関生」の若手会員2名様にご出演頂くことになりました。これをサイマルキャスト動画版として別途作成したものが本動画です。
動画および音声に関する著作権は此方(IBB)に帰属していますが「無償貸与」という形で大石チャンネルにてアップされました。
現在、当方のYouTube「Getsu-Teleチャンネル」では音声版の公開を終了しておりますが「大石あきこチャンネル」では動画版の公開が継続していたようです。
当然のことですが本動画は「永久貸与」ではありません。※通常「貸与/最長1カ年」というのが常識です。
よって自主的かつ速やかに「公開終了」のご対応を頂くのが自然な着地点と考えます。
尚、此方(IBB)は「連帯ユニオン関西生コン支部(通称・関生)」様との関係は一切ございません。
以上。
(追記)
此方(IBB)の要請を正しいものと判断したYouTube側が、当該2本の動画を「大石あきこチャンネル」から強制削除しました。
2024年04月10日
2024年03月07日
榎田信衛門のドラマ原点『天下御免』
(「cinematograph-lunedi映画製作日誌」2012年04月10日付より転載)

『天下御免』は1971年10月8日から1年間放送された、2代目タイムショックMC&大岡越前の吉宗こと山口崇演ずる天才平賀源内を主人公とするカルト時代劇。
当時のNHKとしては、異常と言う程「画期的」にカルトな作品であった。
時代をちょいと先取りし過ぎたきらいがある平賀源内を中心に、戦国乱世に憧れる剣の使い手・小野寺右京之介(林隆三)、義賊稲葉小僧(津坂匡章、現秋野太作)が脇を固め、武家の娘・(中野良子)、その弟八萬(山田隆夫)、田沼意次(仲谷昇)、杉田玄白(坂本九)などが登場した。
ナレーションは水前寺清子であった。
毎週金曜夜8時のお楽しみ。
書き出せばキリが無いが・・。
それはそれは恐ろしく風刺をきかせた現代感覚の時代劇であって、例えばゴミ問題とか様々な社会問題を取り上げれば、なんと美濃部東京都知事がゲスト出演するわ、当時の人気CMのパロディまでやってしまうわ。(恐らくNHK初!)
源内が江戸に入るシーンでは、現代の銀座ホコ天をそのまんま使い、時代劇なんだか現代劇なんだか分からないキテレツな演出で視聴者を驚かせた。
この破天荒ぶりは、以後のNHK(BS除く)では全く見られないと言ってもいい程のもので、小学2年生であったあっしの感性を見事に射抜く凄い作品であった。
最終回では、気が狂ったふりをした平賀源内が、気球に乗って日本を脱出。
革命の荒らしうずまくフランスに逃亡する!という物凄いオチが用意され、時代考証もへったくれもない「めちゃめちゃ加減」がビンビン来たものであった。
ちなみに90年になって『びいどろで候・長崎屋夢日記』という作品で、フランスに渡った平賀源内が登場するという《涙もの》の演出がなされたが、この意味が分かったのは残念ながらおじさんおばさんだけであった。
ところで・・
最近『QIC』のリスナーが異常に増えている。
何やらあっしのモノの考え方が面白いのか変なのか・・ともかく普通じゃないところがいいらしい。
あっしは、イデオロギーの先駆者でもなければ、教祖でもないので、何だか微妙な心持ちであるが、ここでちょいと種明かしをしておこう・・。
あっしの妙な思考回路を作っちまったその原因物質は、ズバリ『天下御免』・・・。マジで。
政治や風俗に対する視点、全てを一旦裏返しにして見てみようという思考、ぜーんぶ『天下御免』に劇的にハマってしまったから出来上がったものなのよ。
これ見てなけりゃ、今頃真面目な公務員にでもなっていたかもしれん。(笑)
言ってみれば、小学2年生であっしの運命は決まっていたことになる。
予め決められた道筋を通って来ただけの30年間だったのかも知れぬ。
「船出だぞ、船出だぞ、このうら船に帆を上げて〜
自由の風をつかまえろ、てんてん天下の御免丸・・
風・風・風・風、風をおいらがおこすんだ・・
俺達みんなが風なんだ・・エイエイコーラのエイコーラ」
・・挿入歌である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
お聞き頂けば、あっしのムチャクチャさの原典、そしてFMCの設計思想がここにあることがお分かり頂けるかもしんない。
さてさて時代劇で非常に重要なものは「テーマ曲」である。
テーマ曲がバシッとハマっていないと、のっけからコケてしまう。
その点でも『天下御免』は秀逸である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
TBSラジオ『小沢昭一の小沢昭一的こころ』を彷佛とさせる山本直純のお囃子風テーマ曲。
否、お囃子を主旋律として抱きながら、大河ドラマ然とした壮大な副旋律が奏でるロマン。
見事であった。
のっけの太鼓で重厚さを醸し出しながら、すッと軽い主旋律が登場。
そしてその背後で美しいストリングスが『男はつらいよ』のそれにも似た哀愁ある副旋律を描く・・。
スタッカートになる。太鼓が前面に押し出す。
再びすッと軽いメロディに戻る。村祭りのような太鼓の賑やかさ・・。
4クール46回分のくり返しで記憶されたこのテーマ曲・・忘れることは出来ない。
実は今日までずっとだが、何かしら心の中に鬱が生じた時に、自分を鼓舞するように頭の中で奏でるメロディがある。
それが『天下御免』のテーマである。
小学2年からだから、30年以上この曲が消えたことが無い。
あの大正琴の響きが、何度も、挫けそうなあっしの心を奮い立たせてくれた。
余談だが、このドラマはVTRがまともに残っていない・・。
山口崇が個人的に家庭用VTR(多分3/4インチであろう)で録画したものが現存するのみらしい。(第1回と最終回のみ)
まことに残念である。
『天下御免』は1971年10月8日から1年間放送された、2代目タイムショックMC&大岡越前の吉宗こと山口崇演ずる天才平賀源内を主人公とするカルト時代劇。
当時のNHKとしては、異常と言う程「画期的」にカルトな作品であった。
時代をちょいと先取りし過ぎたきらいがある平賀源内を中心に、戦国乱世に憧れる剣の使い手・小野寺右京之介(林隆三)、義賊稲葉小僧(津坂匡章、現秋野太作)が脇を固め、武家の娘・(中野良子)、その弟八萬(山田隆夫)、田沼意次(仲谷昇)、杉田玄白(坂本九)などが登場した。
ナレーションは水前寺清子であった。
毎週金曜夜8時のお楽しみ。
書き出せばキリが無いが・・。
それはそれは恐ろしく風刺をきかせた現代感覚の時代劇であって、例えばゴミ問題とか様々な社会問題を取り上げれば、なんと美濃部東京都知事がゲスト出演するわ、当時の人気CMのパロディまでやってしまうわ。(恐らくNHK初!)
源内が江戸に入るシーンでは、現代の銀座ホコ天をそのまんま使い、時代劇なんだか現代劇なんだか分からないキテレツな演出で視聴者を驚かせた。
この破天荒ぶりは、以後のNHK(BS除く)では全く見られないと言ってもいい程のもので、小学2年生であったあっしの感性を見事に射抜く凄い作品であった。
最終回では、気が狂ったふりをした平賀源内が、気球に乗って日本を脱出。
革命の荒らしうずまくフランスに逃亡する!という物凄いオチが用意され、時代考証もへったくれもない「めちゃめちゃ加減」がビンビン来たものであった。
ちなみに90年になって『びいどろで候・長崎屋夢日記』という作品で、フランスに渡った平賀源内が登場するという《涙もの》の演出がなされたが、この意味が分かったのは残念ながらおじさんおばさんだけであった。
ところで・・
最近『QIC』のリスナーが異常に増えている。
何やらあっしのモノの考え方が面白いのか変なのか・・ともかく普通じゃないところがいいらしい。
あっしは、イデオロギーの先駆者でもなければ、教祖でもないので、何だか微妙な心持ちであるが、ここでちょいと種明かしをしておこう・・。
あっしの妙な思考回路を作っちまったその原因物質は、ズバリ『天下御免』・・・。マジで。
政治や風俗に対する視点、全てを一旦裏返しにして見てみようという思考、ぜーんぶ『天下御免』に劇的にハマってしまったから出来上がったものなのよ。
これ見てなけりゃ、今頃真面目な公務員にでもなっていたかもしれん。(笑)
言ってみれば、小学2年生であっしの運命は決まっていたことになる。
予め決められた道筋を通って来ただけの30年間だったのかも知れぬ。
「船出だぞ、船出だぞ、このうら船に帆を上げて〜
自由の風をつかまえろ、てんてん天下の御免丸・・
風・風・風・風、風をおいらがおこすんだ・・
俺達みんなが風なんだ・・エイエイコーラのエイコーラ」
・・挿入歌である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
お聞き頂けば、あっしのムチャクチャさの原典、そしてFMCの設計思想がここにあることがお分かり頂けるかもしんない。
さてさて時代劇で非常に重要なものは「テーマ曲」である。
テーマ曲がバシッとハマっていないと、のっけからコケてしまう。
その点でも『天下御免』は秀逸である。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
TBSラジオ『小沢昭一の小沢昭一的こころ』を彷佛とさせる山本直純のお囃子風テーマ曲。
否、お囃子を主旋律として抱きながら、大河ドラマ然とした壮大な副旋律が奏でるロマン。
見事であった。
のっけの太鼓で重厚さを醸し出しながら、すッと軽い主旋律が登場。
そしてその背後で美しいストリングスが『男はつらいよ』のそれにも似た哀愁ある副旋律を描く・・。
スタッカートになる。太鼓が前面に押し出す。
再びすッと軽いメロディに戻る。村祭りのような太鼓の賑やかさ・・。
4クール46回分のくり返しで記憶されたこのテーマ曲・・忘れることは出来ない。
実は今日までずっとだが、何かしら心の中に鬱が生じた時に、自分を鼓舞するように頭の中で奏でるメロディがある。
それが『天下御免』のテーマである。
小学2年からだから、30年以上この曲が消えたことが無い。
あの大正琴の響きが、何度も、挫けそうなあっしの心を奮い立たせてくれた。
余談だが、このドラマはVTRがまともに残っていない・・。
山口崇が個人的に家庭用VTR(多分3/4インチであろう)で録画したものが現存するのみらしい。(第1回と最終回のみ)
まことに残念である。
2024年01月14日
災害現場で若手記者たちと
2016年4月「熊本大分大地震」
発災翌々日から震源に近く壊滅状態の益城町に入った。
このとき私自身も被災者であり、まともに取材できるような環境ではなかったのだが、
とりあえず矢も楯もたまらず、仲間の車に便乗して現地に入り、
破壊された町を目に焼き付けることに躍起になっていた。
ようやく落ち着いて町の声を拾い始めたのは5月6日になってからである。

これはまだ取材モードに入る前の発災直後のエピソード。
この日、経験の浅い若手記者とかカメラマンが結構な数うろうろしていた。
(ベテランは別のヌルいところに居たのかもW)
ふと観れば、大手新聞社の腕章をつけた女性カメラマンがいた。
手にした一眼レフのファインダーを覗かず「呆然」と突っ立っていた。
「こんちは。おつかれです!(私は誰であろうと現場で挨拶する)」
「あ(我に返って)お疲れ様です」
「撮れてます?(撮れてないのは分かってるW)」
「あ、いえこれから」
「ワイド(広角)でじゃんじゃか撮っちゃうといいですよ。寄り気味でね。心の目じゃ撮れませんよなかなか。数で勝負。頑張って!」
‥と言ったら少し正気が戻ったようで、レンズを望遠から広角に付け替えていた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ!カメラマンは無口じゃだめだよー(笑)声かけてナンボだから」
‥なんて笑いながら瓦礫の合間を歩く。
だが私、本当は号泣モードだった。
瓦礫を見て、人々の日常の残骸を見て、心が張り裂けそうなのは私も同じだ。
さらに歩く。時々被災者と話をする。写真を撮る。1時間くらい歩いただろうか。
「お疲れ様です!どこ?(社名を尋ねる)」
「あ、NHKです。◯◯の取材チームです」まだ大学生みたいな若いお兄ちゃんだった。
「すごいよねー。生で観たら驚くよねー」
「はい。震災現場は初めてなもので」
「私はインターネットメディア。FMC‥知らないでしょ」
「あ、いえ。すみません」
「いいのいいの。あ、あのおばちゃん。話聴いた?(私が指差す)」
「いえ。まだ‥」
「話きいてみよう」
「え?」
「いいから、おいで(笑)」
20メートルくらい離れた瓦礫の山から何かを拾い集めている60代前後の女性がいた。
ゆっくり近づきながら‥
「大変だったですねぇー。なんば集めておらるるっですか(ここは必殺ネイティブ熊本弁)」
「あはは(満面の笑顔)。孫の玩具です。ほー(見せてくれる)こぎゃんミニカーのね。孫の宝物だけん」
「わ!これはよか。あんまり汚れとらんで良かったですねぇ」
「こないだの雨も大丈夫だったごた。よかったです」
NHK君にアイコンタクト。これに気付かないやつはそもそも記者失格w
彼はすぐ気づいて会話に入ってきた。
「ご家族はいまどうされてます?」
「皆で町の体育館におります」
「お怪我とかは?」
「いやー全員ピンピンしとるよ(笑い)」
「それはよかったー!」
2つ3つ会話を続けて
「また話を聴かせて下さい。あ、こん彼はNHK。東京から。いろいろ話ば聴かせてやって下さい」
その場を離れた。
彼がそのまま被災地に順応してくれればよいが多分大丈夫だろう。元気かい?
どこの「社」なんてどうでもよい。
どうせ特ダネなんか落ちてはいない。
1人でも多くの取材者が被災者の心に寄り添って、
その「辛さ」「悲しみ」「やせ我慢」を汲み上げればよいのである。
災害取材ってそういうものだと私は考えている。(個人差ありますよw)
いま各社の先遣隊からバトンタッチして2番手3番手ひょっとしたら4番手あたりかな?
選手交代を続けながら現地取材を続けていることだろう。
中には「一所懸命」を地でいく猛者がいるかもしれない。
みんながんばれ!
発災翌々日から震源に近く壊滅状態の益城町に入った。
このとき私自身も被災者であり、まともに取材できるような環境ではなかったのだが、
とりあえず矢も楯もたまらず、仲間の車に便乗して現地に入り、
破壊された町を目に焼き付けることに躍起になっていた。
ようやく落ち着いて町の声を拾い始めたのは5月6日になってからである。
これはまだ取材モードに入る前の発災直後のエピソード。
この日、経験の浅い若手記者とかカメラマンが結構な数うろうろしていた。
(ベテランは別のヌルいところに居たのかもW)
ふと観れば、大手新聞社の腕章をつけた女性カメラマンがいた。
手にした一眼レフのファインダーを覗かず「呆然」と突っ立っていた。
「こんちは。おつかれです!(私は誰であろうと現場で挨拶する)」
「あ(我に返って)お疲れ様です」
「撮れてます?(撮れてないのは分かってるW)」
「あ、いえこれから」
「ワイド(広角)でじゃんじゃか撮っちゃうといいですよ。寄り気味でね。心の目じゃ撮れませんよなかなか。数で勝負。頑張って!」
‥と言ったら少し正気が戻ったようで、レンズを望遠から広角に付け替えていた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ!カメラマンは無口じゃだめだよー(笑)声かけてナンボだから」
‥なんて笑いながら瓦礫の合間を歩く。
だが私、本当は号泣モードだった。
瓦礫を見て、人々の日常の残骸を見て、心が張り裂けそうなのは私も同じだ。
さらに歩く。時々被災者と話をする。写真を撮る。1時間くらい歩いただろうか。
「お疲れ様です!どこ?(社名を尋ねる)」
「あ、NHKです。◯◯の取材チームです」まだ大学生みたいな若いお兄ちゃんだった。
「すごいよねー。生で観たら驚くよねー」
「はい。震災現場は初めてなもので」
「私はインターネットメディア。FMC‥知らないでしょ」
「あ、いえ。すみません」
「いいのいいの。あ、あのおばちゃん。話聴いた?(私が指差す)」
「いえ。まだ‥」
「話きいてみよう」
「え?」
「いいから、おいで(笑)」
20メートルくらい離れた瓦礫の山から何かを拾い集めている60代前後の女性がいた。
ゆっくり近づきながら‥
「大変だったですねぇー。なんば集めておらるるっですか(ここは必殺ネイティブ熊本弁)」
「あはは(満面の笑顔)。孫の玩具です。ほー(見せてくれる)こぎゃんミニカーのね。孫の宝物だけん」
「わ!これはよか。あんまり汚れとらんで良かったですねぇ」
「こないだの雨も大丈夫だったごた。よかったです」
NHK君にアイコンタクト。これに気付かないやつはそもそも記者失格w
彼はすぐ気づいて会話に入ってきた。
「ご家族はいまどうされてます?」
「皆で町の体育館におります」
「お怪我とかは?」
「いやー全員ピンピンしとるよ(笑い)」
「それはよかったー!」
2つ3つ会話を続けて
「また話を聴かせて下さい。あ、こん彼はNHK。東京から。いろいろ話ば聴かせてやって下さい」
その場を離れた。
彼がそのまま被災地に順応してくれればよいが多分大丈夫だろう。元気かい?
どこの「社」なんてどうでもよい。
どうせ特ダネなんか落ちてはいない。
1人でも多くの取材者が被災者の心に寄り添って、
その「辛さ」「悲しみ」「やせ我慢」を汲み上げればよいのである。
災害取材ってそういうものだと私は考えている。(個人差ありますよw)
いま各社の先遣隊からバトンタッチして2番手3番手ひょっとしたら4番手あたりかな?
選手交代を続けながら現地取材を続けていることだろう。
中には「一所懸命」を地でいく猛者がいるかもしれない。
みんながんばれ!

