発災翌々日から震源に近く壊滅状態の益城町に入った。
このとき私自身も被災者であり、まともに取材できるような環境ではなかったのだが、
とりあえず矢も楯もたまらず、仲間の車に便乗して現地に入り、
破壊された町を目に焼き付けることに躍起になっていた。
ようやく落ち着いて町の声を拾い始めたのは5月6日になってからである。

これはまだ取材モードに入る前の発災直後のエピソード。
この日、経験の浅い若手記者とかカメラマンが結構な数うろうろしていた。
(ベテランは別のヌルいところに居たのかもW)
ふと観れば、大手新聞社の腕章をつけた女性カメラマンがいた。
手にした一眼レフのファインダーを覗かず「呆然」と突っ立っていた。
「こんちは。おつかれです!(私は誰であろうと現場で挨拶する)」
「あ(我に返って)お疲れ様です」
「撮れてます?(撮れてないのは分かってるW)」
「あ、いえこれから」
「ワイド(広角)でじゃんじゃか撮っちゃうといいですよ。寄り気味でね。心の目じゃ撮れませんよなかなか。数で勝負。頑張って!」
‥と言ったら少し正気が戻ったようで、レンズを望遠から広角に付け替えていた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ!カメラマンは無口じゃだめだよー(笑)声かけてナンボだから」
‥なんて笑いながら瓦礫の合間を歩く。
だが私、本当は号泣モードだった。
瓦礫を見て、人々の日常の残骸を見て、心が張り裂けそうなのは私も同じだ。
さらに歩く。時々被災者と話をする。写真を撮る。1時間くらい歩いただろうか。
「お疲れ様です!どこ?(社名を尋ねる)」
「あ、NHKです。◯◯の取材チームです」まだ大学生みたいな若いお兄ちゃんだった。
「すごいよねー。生で観たら驚くよねー」
「はい。震災現場は初めてなもので」
「私はインターネットメディア。FMC‥知らないでしょ」
「あ、いえ。すみません」
「いいのいいの。あ、あのおばちゃん。話聴いた?(私が指差す)」
「いえ。まだ‥」
「話きいてみよう」
「え?」
「いいから、おいで(笑)」
20メートルくらい離れた瓦礫の山から何かを拾い集めている60代前後の女性がいた。
ゆっくり近づきながら‥
「大変だったですねぇー。なんば集めておらるるっですか(ここは必殺ネイティブ熊本弁)」
「あはは(満面の笑顔)。孫の玩具です。ほー(見せてくれる)こぎゃんミニカーのね。孫の宝物だけん」
「わ!これはよか。あんまり汚れとらんで良かったですねぇ」
「こないだの雨も大丈夫だったごた。よかったです」
NHK君にアイコンタクト。これに気付かないやつはそもそも記者失格w
彼はすぐ気づいて会話に入ってきた。
「ご家族はいまどうされてます?」
「皆で町の体育館におります」
「お怪我とかは?」
「いやー全員ピンピンしとるよ(笑い)」
「それはよかったー!」
2つ3つ会話を続けて
「また話を聴かせて下さい。あ、こん彼はNHK。東京から。いろいろ話ば聴かせてやって下さい」
その場を離れた。
彼がそのまま被災地に順応してくれればよいが多分大丈夫だろう。元気かい?
どこの「社」なんてどうでもよい。
どうせ特ダネなんか落ちてはいない。
1人でも多くの取材者が被災者の心に寄り添って、
その「辛さ」「悲しみ」「やせ我慢」を汲み上げればよいのである。
災害取材ってそういうものだと私は考えている。(個人差ありますよw)
いま各社の先遣隊からバトンタッチして2番手3番手ひょっとしたら4番手あたりかな?
選手交代を続けながら現地取材を続けていることだろう。
中には「一所懸命」を地でいく猛者がいるかもしれない。
みんながんばれ!