2024年01月14日

災害現場で若手記者たちと

2016年4月「熊本大分大地震」
発災翌々日から震源に近く壊滅状態の益城町に入った。

このとき私自身も被災者であり、まともに取材できるような環境ではなかったのだが、
とりあえず矢も楯もたまらず、仲間の車に便乗して現地に入り、
破壊された町を目に焼き付けることに躍起になっていた。

ようやく落ち着いて町の声を拾い始めたのは5月6日になってからである。


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これはまだ取材モードに入る前の発災直後のエピソード。

この日、経験の浅い若手記者とかカメラマンが結構な数うろうろしていた。
(ベテランは別のヌルいところに居たのかもW)

ふと観れば、大手新聞社の腕章をつけた女性カメラマンがいた。
手にした一眼レフのファインダーを覗かず「呆然」と突っ立っていた。

「こんちは。おつかれです!(私は誰であろうと現場で挨拶する)」
「あ(我に返って)お疲れ様です」
「撮れてます?(撮れてないのは分かってるW)」
「あ、いえこれから」
「ワイド(広角)でじゃんじゃか撮っちゃうといいですよ。寄り気味でね。心の目じゃ撮れませんよなかなか。数で勝負。頑張って!」
‥と言ったら少し正気が戻ったようで、レンズを望遠から広角に付け替えていた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ!カメラマンは無口じゃだめだよー(笑)声かけてナンボだから」
‥なんて笑いながら瓦礫の合間を歩く。
だが私、本当は号泣モードだった。
瓦礫を見て、人々の日常の残骸を見て、心が張り裂けそうなのは私も同じだ。

さらに歩く。時々被災者と話をする。写真を撮る。1時間くらい歩いただろうか。

「お疲れ様です!どこ?(社名を尋ねる)」
「あ、NHKです。◯◯の取材チームです」まだ大学生みたいな若いお兄ちゃんだった。
「すごいよねー。生で観たら驚くよねー」
「はい。震災現場は初めてなもので」
「私はインターネットメディア。FMC‥知らないでしょ」
「あ、いえ。すみません」
「いいのいいの。あ、あのおばちゃん。話聴いた?(私が指差す)」
「いえ。まだ‥」
「話きいてみよう」
「え?」
「いいから、おいで(笑)」

20メートルくらい離れた瓦礫の山から何かを拾い集めている60代前後の女性がいた。
ゆっくり近づきながら‥

「大変だったですねぇー。なんば集めておらるるっですか(ここは必殺ネイティブ熊本弁)」
「あはは(満面の笑顔)。孫の玩具です。ほー(見せてくれる)こぎゃんミニカーのね。孫の宝物だけん」
「わ!これはよか。あんまり汚れとらんで良かったですねぇ」
「こないだの雨も大丈夫だったごた。よかったです」

NHK君にアイコンタクト。これに気付かないやつはそもそも記者失格w
彼はすぐ気づいて会話に入ってきた。
「ご家族はいまどうされてます?」
「皆で町の体育館におります」
「お怪我とかは?」
「いやー全員ピンピンしとるよ(笑い)」
「それはよかったー!」

2つ3つ会話を続けて
「また話を聴かせて下さい。あ、こん彼はNHK。東京から。いろいろ話ば聴かせてやって下さい」
その場を離れた。
彼がそのまま被災地に順応してくれればよいが多分大丈夫だろう。元気かい?

どこの「社」なんてどうでもよい。
どうせ特ダネなんか落ちてはいない。
1人でも多くの取材者が被災者の心に寄り添って、
その「辛さ」「悲しみ」「やせ我慢」を汲み上げればよいのである。
災害取材ってそういうものだと私は考えている。(個人差ありますよw)

いま各社の先遣隊からバトンタッチして2番手3番手ひょっとしたら4番手あたりかな?
選手交代を続けながら現地取材を続けていることだろう。
中には「一所懸命」を地でいく猛者がいるかもしれない。

みんながんばれ!
posted by WebRadioFMC at 12:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月13日

あの日「守旧派」と呼ばれたw

かつて秀吉が鳥取城を攻める前、
まずは、息のかかった商人を多数現地に入らせて「米」を高値で買いまくった。
とんでもない高値。つまりバブルである。

米を持つ者は蔵の中の1粒に至るまで売りまくった。
なんと城内の米庫からも売っちゃった。

そして米がなくなった頃合いを見て秀吉は大軍で攻め込んだ。

だが殺戮はしない。
城下の民を脅し急き立てて鳥取城内に誘導した。

包囲体制コンプリート。

米つまり兵糧の無い城内はすぐに地獄絵となった。

食べられる物なら土壁も食べた。
餓死寸前の者はあっという間に四肢バラバラにされ、有力者が率先して脳を食した。

結果、城主の切腹と引き換えに包囲は解かれた。

餓鬼となった領民たちは慌てて粥を流し込むが、ショックで皆死んだ。

これが後世「鳥取の渇え殺し」と呼ばれる残酷な鳥取城攻略戦そのあらましである。



さしずめ今はどの辺りに当てはまるだろうか‥。


2001年4月。
稀代の詐欺師小泉純一郎その内閣支持率は凡そ80%に達していた。

「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンを携え、
「聖域なき構造改革」とカッコよく言い放ち、
「郵政三事業の民営化」を「改革の本丸」と位置づけ国民を熱狂させていた。

国の資産をバラバラに切り売りするこの男を私は訝しく思った。

自分のトークラジオ番組(https://fmc.or.jp/qic/)で猛然と大批判を開始した。
※当時、大手検索サイト「excite」のラジオ局ランキングでは、NHKやTOKYO-FMなどを押さえて堂々のトップにいた我々「ウェブラジオFMC」には当然のことながら相当なアクセスがあり、大手印刷会社が買収を持ちかけてくる程の勢いがあった。(売っておけば良かったw)

ドーーーーン。
お客が逃げた。(思いっきりアクセスが低下したよw)

右派も左派も中道もノンポリも「純ちゃんフィーバー」に沸いている日本国に於いて、
純ちゃんのやることにケチをつける榎田信衛門あいつは何だ。
あいつは自民党「守旧派」だ!‥と言われた。
当時はSNSが未発達だったので直接叩かれる事は少なかったが、
兎に角お客さん(リスナー)は激減した。

純ちゃんに歯向かう者には「守旧派」というレッテルが貼られ、
それだけで小馬鹿にされていた。

だが、郵政の切り売りを端緒として「地方の衰退」が加速するに違いない。
日本の国土は、末端への金や物の流れが止まっていく。
つまり毛細血管の死。
当然、その末端から壊死していくはず‥。

‥私にはそんな未来が見えていた。
だから毎回熱く語った。
だが聴く耳を持つ人は少数だった。

あれから20余年。この国はどうだろう。
私の想像以上のスピードで地方は壊死を続けている。
あのとき「守旧派だ」と小馬鹿にしてくれた支持率80%の連中は今どうしているだろうか。

さてさて、そこへ来て天変地異の連続だ。
さらに地方は瓦解していく。

逆に「東京の一極集中」は留まることを知らない。
急き立てられるように人は物は東京に流れる。
大阪だって実は過疎がジワジワ進行している。

極めて近しい未来。
人が物が集まるだけ集まったメガロポリスTOKYOの完成。

最後の総仕上げは「関東直下型地震」かもね。


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posted by WebRadioFMC at 08:13| 榎田雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする