2014年04月14日

WA!アメーバだ30周年記念公式サイトお披露目

19851006a.jpg

凡そ30年前のこと。
一人の高校生が心に激震を感じながら聴いていたラジオ番組がありました。
その番組は、異常に早口で落ち着きの無い喋りをするけど、時々、マスコミや地元熊本の古臭いカルチャーに対し笑いながら斬り付ける二十歳そこそこの男性MCが率いるテロリスト集団がやっていて「こんなものが放送されるなんて!」と物凄いカルチャーショックを感じていたそうです。

彼と初めて会ったのは、1986年の正月のことです。
うち(当時はJOIN'Sロフトと名乗っていた旧FMCスタジオ)に突然現れた3人の高校生の中にいました。

私「どなた?」
彼ら「リスナーです。WA!アメーバだ‥大好きでした!」
私「あ、はい」
彼ら「何で番組終わっちゃったのですか!」

それは質問なのかそれとも抗議だったのか。
‥笑ってるようでもあり、泣いてるようでもあり、怒っているようでもありました。

「あー、それはねぇ。まぁ入りなよ」

彼らを招き入れ、お茶を出し、それから日暮れまで5時間くらい語ったように記憶しています。

最初緊張感丸出しだった彼ら。
そうでしょう。目の前にはギラギラした目つきの《放送テロリスト》がいるんですからw

私が「頭来たけど、もし抗議のハガキとかが局に来なかったら悔しいから、みんなで仕込みの抗議ハガキを30枚ばかり書いて投函してやった(実話です)」と話した途端大爆笑。それから和気藹々の会話になっていきました。
※ちなみに局に届いた抗議ハガキは全部で「200枚くらい」だったそうですw 仕込みは要らなかったな。

彼らが毎週月曜日の深夜1時。耳の穴をかっぽじいて聴いてくれた番組『WA!アメーバだ』
僅か1クールという極めて短命な番組でしたが、そのコンセプトは現在も尚『QIC』の中に受け継がれています。

あれから30年。
JOIN→BSP→FMCと、団体名はいろいろ変わりましたが、その間ずーっと私たちを応援し続けてくれているスーパーリスナー中のスーパーリスナー。それがラジオネーム坪井川俊郎君(47歳、現在北陸地方に単身赴任中)です。
そんな彼が企画してくれた『WA!アメーバだ30周年公式サイト』が本日お披露目となりました。(実は1年半くらい前からちょっとずつ作り続けてました)

恥ずかしながら当時の番組もお聴き頂けます。(とりあえず1985年11月25日放送分をダイジェスト版でアップしました)
はっきり云って私「下手」ですw
本当に異常な早口で落ち着きがありません。
さすがに30年もやるとこんなに変わるかな‥ってことでお笑い頂ければ幸いです。

榎田信衛門


toptitle01.jpg
posted by WebRadioFMC at 13:57| Comment(0) | 榎田雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

河田町型フジテレビの葬式

vlcsnap-2014-04-01-11h36m57s92.png
昨夜放送された『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』のレイティングは、28.1%だったそうな。
あれだけの顔ぶれを集めてもこの数字。これをテレビの衰退と判断するか、それともメディア多様化の当然の流れと判断するかは他者に委ねるとして、私個人の今の気分を申し上げれば、長生きした親戚の爺さんの葬式を終えて、斎場の煙突の向こう側に広がる青空を見上げてポカーンとしているような感じ‥といったところ。

昨夜の特番。不仲が噂される大物お笑いコンビが続々乱入し、さながらプロレスのバトルロイヤル然としている。一見賑やかな映像。これが私には《親戚一同が駆けつけた通夜》にしか見えなかった。そして後半の各出演者からのメッセージ。おもいっきり告別式のそれに見えた。

かつて民放キー局のお荷物とされたフジテレビ(この頃テレ東は「番外地」と呼ばれ、キー局扱いされていなかった)が猛突進を開始したのは1980年前半のことである。
この頃私は、とある偉いさんの気紛れ的ゴリ押しでフジテレビ編成局に一時期出向していたわけだが、フロアの活気の高さといったら半端ではなかった。
他局が人材難=コンテンツ不足で喘いでいたとき、フジテレビは既存の定番コンテンツをほぼ全廃するという暴挙に出た。例えば長寿時代劇「銭形平次」を888回で終わらせ、こちらも長寿番組「オールスター家族対抗歌合戦」を終わらせた。取り巻きメディアは自殺行為と揶揄した。
要は《スクラップ&ビルド》ってことなのだが、言い換えれば《背水の陣》であり、古い空気を一掃するための大換気でもあった。

他局が人材難だったのは、凡そ10年前のオイルショック時に新規採用を中断したことによる。結果、現場のリーダーたる中堅が極端に不足することになったのだ。
一方、人事に甘かった(組合が強かった)フジテレビは、新卒を採ってはいたが「とても食わせられない」と系列局や子会社に預けて凌いでいたわけだが、これがフジテレビ快進撃の原動力となったことは良く知られている。
マンザイブームを作った人達も、アニメブームを押し上げた人達も、女子大生→おニャン子ブームを作った人達も、他所で冷飯食ってた返り咲き組である。

その後、数々のヒット番組を飛ばして民放ナンバー1になったフジテレビが凋落傾向に陥ったのは、河田町からお台場に局舎を移転してからだと私は断じている。

そのココロはこうだ。「放送局は小汚いくらいが丁度いい」

放送局が街のシンボルになるのは構わない。けれども観光地化しちゃだめだ。美麗なビルディングの中で、世間様から羨望の眼差しで見られながら仕事をすると必ず感覚が狂ってくる。下手なブランド意識に目覚め、冒険心の枯渇が始まる。その結果が今のフジテレビである。

河田町にあった旧局舎は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。むしろ小汚い。けれどその中から活き活きとしたコンテンツを生み出そうと皆が必死で足掻き、当然皆が冒険心を持つことを由としていた。

話を戻そう。
ある意味昭和。ある意味河田町時代のフジテレビを最後まで引き摺っていた稀有なコンテンツ「いいとも!」の終焉。
かつてフジっ子と呼ばれたタレントたちが集まって、逝く番組を惜しんだ。
今やテレ朝に追い抜かれ、テレ東にも肩を並べられるテイタラク。再び盛り返すのは簡単なことではない。

さっき後継番組『バイキング』が始まった。
怖いもの見たさでオープニングだけ観てみた。
『いいとも!』の遺伝子ばかりを強調する演出そして発言。スクラップ&ビルドを断行できない弱さ丸出しであった。

こんなことなら、あの時ホリエモンにぶち壊してもらった方がマシだったかも‥云い過ぎだろうか。

榎田信衛門
posted by WebRadioFMC at 16:13| 榎田雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする